今年の夏はさほどに暑さがつづかなくって、やたらと雨ばかりが降ってた印象が強く。七夕のお祭りが涙雨に流れてしまわぬかと、子供らがかわいらしいことを案じ、大人らは花火大会や夏まつりが延期や中止になりでもしたらとやっぱり案じた夏だった。何せ、大こどもらにすれば日頃の憂さを晴らせる騒ぎどきだし、そこで商売をする大人にはずんと大口な稼ぎどきなだけに、それがおじゃんになるのはどちらにも切実に手痛いというもので。
「まま、大川の花火もシモツキ神社の夜店縁日も、
結局は滞りがなかったからよかったが。」
「そうでございましたねぇ。」
ほんのつい先日の話だってのに、もはやそんな余燼は欠片もなくて。昼間の暑さもあっさり拭い、虫の声に縁取られた宵は澄んだ夜気が垂れ込めるばかり。いつものこの頃合いもこうだったかな。さて、日なかはいつまでも蒸したようでしたが、晩はこんなもんじゃあありませなんだか。真夏の宵でも熱いものを食べるのが江戸っ子なので、昼間はところてんやら“ひゃあら・ひやっこい”と水蜜に浮かせた白玉を扱う連中に席巻されても、やっぱり宵は夜鳴き蕎麦のお商売をしていたドルトンさんが、5杯目になるかけ蕎麦を“はいどうぞ”と差し出して、
「続きはしませなんだが、それでも雨が多うございましたから、
これからの秋の作物が心配ですねぇ。」
「ほうよ、ほれほえ。」
どうやら“そうよ、それそれ”と言いたいらしい、妙な声を出したのは、首から背中へ麦ワラ帽子を下げている小柄な少年、だがだがこれでも十手を預かるから侮れぬ、麦ワラのルフィ親分というお人。口に突っ込んだお蕎麦をはふはふ・むしゃりとやや急いで味わってから、
「来月の満月、お月見辺りんでもなればあっちこっちの稲刈りも終わる。収穫の出来高によっちゃあ、景気が悪くなって盗っ人も増えかねねえってんで、夏に“商売”出来なかった連中も合わせて、やな奴らが跋扈しなきゃあいいんだがって。」
ゲンゾウの旦那が、今から 苦虫喰い散らかしたような顔してなさっててよと。これでも彼なりに真面目に受け取っているらしく、赤い格子柄の着物の袖で口許拭きつつ、鹿爪らしいお顔で言う親分だったものの…その表現はちょっと間違ってないかい?
「それを言うんなら、Morlin.さんだって。
この話は江戸とかいうトコの話じゃねぇぞ。」
はいはい、そうでございましたねぇ。ネフェルタリ・コブラ様の治政も安泰に、皆様そりゃあ穏やかな暮らしようを送っていなさる平和な御藩(おくに)。地味豊かな土地を周縁に従え、港もあるので交易も盛ん。現行幕府よりも古くから、この地を代々お治めのお血筋は、そうならそうで謀反や何やを警戒されがち、難癖つけちゃあ国替えを言いつけられかねぬところだが、叛意なんてとんでもないと納めるものに滞りもなくの優等生ぶりであり。他に際立って怪しい藩も多いことと兼ね合ってか、今のところは中央幕府からもさして何だかんだ言っては来ない安寧ぶりで。だって言うのに、今から先の盗っ人を案じてらっしゃる与力の旦那がおいでとは。
“よき配下に支えられておいでなことだ。”
そして、そんな上司の心持ち、一応は肝に命じている破天荒親分でもあり。こんな絆があるのだ、その御仁の案じも杞憂に終わるのじゃあなかろうかと。目許を細め、いかつい風貌には似合わぬ穏やかな笑みを浮かべるこちらの御仁。屋台蕎麦屋というのは仮の姿で、実は公儀幕府が秘かに放った“隠密”の一人だったりするのだが、そもそもの人柄の実直さとそれから、この藩の人々のあまりに穏やかな暮らしっぷりに感化されたか、ますますのこと、その温厚さが増しもしたようで。彼へと連絡を介させる立場の、現役の隠密の誰かさんへも、自分の息子か甥のような感覚で接しているほどだしねぇ。(笑)まま、そういった背景はともかくとして。ちょみっとばかり変梃りんだった夏も過ぎゆき、暦の上でだけじゃあない、陽が落ちればすっかりと秋の気配を堪能出来るようになった、過ごしやすい今日この頃ではあるのだが、
―― ぴ、ぴぴぃーーーーっ
そんな静かな夜陰を破り、どこぞの辻から放たれたは呼び子の響き。単なる見回り、その途中の寄り道にと早いめの夜食を堪能していたルフィ親分が、はたと顔上げ、腰掛けていた床几(しょうぎ)から立ち上がる。
「近いな。」
「捕り物でしょうか。」
顔を宙へと上げたまま、上の空にも見えるよな素振りで、こくりと頷いた親分さん。抱えていた丼を飯台へと戻すと、懐ろから小銭を掴み出し、
「ごっそさんっ。」
気もそぞろなままに駆け出すところが頼もしいものの、
「あ、あの…っ。」
飯台に置かれたものが、小銭じゃなかったものだから。いいのかなぁとちょっぴり困ってしまったドルトンさんだったりする。お勘定のほうはね、月末にまとめて頂いてもいいのだが、
「これって、もしかして木戸の鍵なんじゃあ…。」
飯台に載っていたのは、古金のひょろっとした鍵が一本。ありゃりゃあ。長屋の人が困らにゃいいけれど。(苦笑)
◇
これもまた厳密に言えば“江戸”の習慣なんですが、ご城下の町屋や長屋は、その辻ごとに、木戸というのが設けられていて、夜中になると人の出入りを止めるためにその戸が閉められ、錠前が降ろされる。ある意味で防犯のためでもあったのですが、押し込み防止というよりも、都の青少年徘徊禁止令どころじゃあない、大人でもやたらと出歩いちゃあいけないとするのが主の目的。どうしても出掛ける用事がある人は鍵を預かってる当番を起こして開けてもらうという手間が要る。そうやって出た以上“そういや、ゆうべは誰某さんが出掛けたねぇ”と当番さんの記憶に残るというもので。なので、何かあったらまず疑われかねないぞよという仕組みになってた訳ですね。まま、そんな決まりごとがなくたって、灯火の油も高かったので、よほどに急ぎの夜なべ仕事をしている居職の人以外、大概の町人は陽が落ちればとっとと早寝をしたそうで。こんな時間に起きてる人といや、夜中に真昼を買える御大尽のお座敷遊びか、夜中に春をひさぐ花街の商売関係の方々と。夜警の人々とそれから、そんな人らを相手にする流しの物売り屋さんというところか。それ以外と言えば、
「待て待て待てっ!」
「神妙にお縄をちょうだいしなっ!」
がちゃがちゃどしゃんと、これは天水桶でも引っ繰り返した音か。通りも路地も関係なくの逃げの一手で駆け回る、怪しい稼業の誰か様。見回りの岡っ引きや夜回りに見とがめられての逃走程度じゃあ、呼び子を派手に鳴らしたりゃしない。無地深色の着物を尻はしょりして、いかにも怪しく気配を殺して壁沿いに歩っていた男だったので。通りすがった捕り方の小者が、もしやとあらためた手配書。人相書きの中に、あったよあったありました。この数日ほど、商家の蔵が荒らされているとの届けとともに、近隣の藩からご注意をと回って来ていた泥棒の人相書き。ひとり働きのこそ泥ながら、一体いつの間にと誰も気づかぬ仕事をするので、カゲロウの何とかと異名を取ってもいるらしい盗っ人で。しかも目利きで、結構なお宝ばかりをちょちょいと持ってく。かつて将軍様からご拝領されたる家宝の何とか、持って行かれてお家断絶なんて憂き目を見た武家もある…というのは、どこまでホントか判らぬ“噂”だが、
「チッ!」
執拗な追っ手がとうとう呼び子を吹いたとあって、これは堪らんととうとう剥げたは化けの皮。ただの通りすがりだと言い逃れをしようとでも思っていたか、だが、それも無理かと見切ったか。路地に積まれた木箱を足場に、だかだかと駆け上がったは瓦葺きの屋根の上。道なりに逃げていては取り囲まれると恐れての運びで、これはもはや正体を現したようなもの。路地を挟んで隣り合うよな屋根を渡れば、下をついてくる追っ手は何とか撒けようと踏んだらしかったものの、
「待ちやがれっ!」
「ひえっ!」
これで安心と、賊が微妙に撫で下ろしたはずの胸、再び躍り上がったのは、行く手からかかった大声のせい。今しも群雲の中からその輪郭をあらわにしつつある望月の、降りそそぎたる青光あびて。不安定な瓦葺き、ずんと高みの足場をものともせずに、えいと踏ん張り十手を構えるその影は、
「おお、ルフィだ。」
「親分っ、待ってましたっ!」
そういや捕り方の皆さんってのは、お武家の関係者なのかなぁ? それとも岡っ引きの親分みたいに、もしくは消防団みたいなもので、町内ごとに若いのが組んでいたのだろうか。ただ、それだと事件だと呼んですぐ“はいっ御ん前に”と集まれるかどうかは大きに不安じゃあなかろうかとも思うので。江戸に詰めてる藩邸関係じゃあないお武家、それこそ奉行所配下なんていう下級武士の方々が請け負っていたのかも知れませぬ。ましてや、このお話の舞台にあたるよな、各藩の捕り方ともなりゃあ、そっちである可能性は必至。ならば…町人にあたるルフィ親分は、身分的には“格下”にあたるのだけれども。藩主様さえその名を知っているような、活躍ぶりやら人気はもはや、そのような区別も吹き飛ばすものらしく。
「どうやら手練れの盗っ人らしいが、
このグランド・ジパングじゃあ、別なお務めについてもらうことになるぜ。」
動きやすいようにと尻っぱしょりをした格好も、細っこい脚に添う紺の下履きも、痩躯を鋭角に冴えさせる凛々しい武装。お顔の前にて構えた銀の十手もいかにも雄々しく、月夜という朧な明かりの下でもまだまだ少年である姿を見とれるというに、
“な、何だ? この坊主のこの落ち着きようはよ。”
捕り方にも満たぬだろう子供の癖に、何でまたこうまで偉そうなのか。そして、大人の皆様がやんやと囃し立てているのはどうしてか。他所から来た身にはなかなか飲み込めまい状況だったが、
「ちぃっ!」
ややこしい奴に気を取られている場合じゃない。これ以上の捕り方が集まらぬうちにと、我に返った賊の男、此処まで駆けて来たほうへときびすを返しての方向転換、親分に背を向けて駆け出しかかる。
「待てっ!」
「待つかっ!」
がちゃがちゃ・どちゃがちゃ、不器用にも瓦を蹴散らし、その割にはなかなか危なげない足取りで逃げを打つ盗っ人であり。居場所を隠すつもりは無さそうながら、だがだが、結構な足回り。やはり追っ手を振り切る作戦かと、下の街路を追う面々が悔しげに見上げたそんな先、
「て〜い、この野郎がっ。」
業を煮やした親分が、やはり追っかけながら十手を持った手をぐんと懐ろへ引き寄せる。それだけには収まらず、肘を折ってのそのまま背後へ、両腕回した態勢になったのへ、
「ややや、出るか。」
「出るぞ、出るぞ。」
夜盗ではなく親分の方を見ていた面々、何をか期待するような声を出し、さあ皆様もご一緒にご唱和を。
「ゴムゴムのピストルっ!」
悪魔の実の能力の、体中がゴムになるという特性を持つ親分だということも、今や皆様よっく御存知。それを生かした捕り物の技、そらよと繰り出したのへ、わっと歓声が沸き起こったほどであり。…って、こらこら、ご近所への迷惑だってば。(笑)
「げっ!」
当然と言いますか、他所から来たばかりらしき賊には、このご城下での名物が判ろう筈もなく。一体何事が起こっているのかも判らないながら、捕り方が歓声を上げたので、自分への危機が迫っているらしいのは察せられたらしい。駆けながら肩越しに背後を振り返れば、何かがひゅんと宙を飛んで来るところ。得体の知れないものほど恐ろしいものはないそうで、捕まるのも困るがそれよりもっと、何かおっかないものが迫っていると知った彼の感じた脅威はいかばかりか。あわわと焦ってしまったその弾み、足元の瓦を危うく踏み外しかかった彼であり。ひゃあとますます焦ったものの、
「あ…っ。」
それが こたびは功を奏した。ゴムの瞬発力は一直線にしか飛ばぬのが難点で、的が大きく態勢を崩してしまったもんだから、際どいところでその手から逃れる格好になってしまい、
「あ、ちくしょっ。」
ちょっぴりお行儀の悪い言いようが零れたのを背後に聞いた夜盗の男。やはり…何が何やら詳細までは判っていないまま、それでも恐ろしい何かが だが自分を捕まえ損ねたらしいと素早く察し、今だと慌てて体勢を立て直しての駆け出したその切り替えがまた、早かったこと早かったこと。芝居の早変わりにでも、ああまで手際よく身を交わしての駆け出す段取りはなかなか組めまいにと、他人ごとみたいに感心した者までいたほどだったとか。それだけ、親分の尋常ならざる逮捕の腕前を信じ切っていたからでもあったれど、
「何を惚けておるかっ! 追えっ!」
「あっ、あわわ、はいっ!」
「向こうだ、ほれ。」
「親分、気ぃつけなっ。その辺であいつもつまづいてた。」
「ああ、ありがとよ…おっとっと。」
おいおい。(笑) 微妙な間合いが挟まったものの、こんな展開も特に珍しいこっちゃあない。今度は足元へとゴムの反発を溜め、
「ゴムゴムのロケットーっ!」
「うわぁっ!」
一足飛びに追いつけば、いきなり急接近して来たお声へ、やはり夜盗が飛び上がって驚いた。そしてそのまま、屋根瓦を踏み外したものだから、
「…だ、大丈夫か?」
本当に他藩で名を馳せてた盗賊なのか。案外と、大した腕じゃあないのに運がよくての逃げ延びられてたクチかも知れぬと、追っ手の皆様の感慨が、そんな方向へ傾き始めたほど。昔の人はさして背丈がなかったから、家並みの軒の高さも今ほどじゃあないとはいえ、あ…そかそか、これもまた江戸の話じゃないというなら、やっぱり結構な高さもあったのかな? そんな軒の上から通りへと、真っ逆さまに転がり落ちかけた彼だったが、
「ひゃあぁああっっ!」
溺れるものはワラをも掴む、何でもいいからと延ばした手が、無事だった瓦の端か何かに掴まった。足元はもはや軒の先へと飛び出しかけていたものが、ぎりぎり落下は免れて、体のほうもやっと停まって。突拍子もないことの連続で、意識までもが掻き回されていたものが、大きな溜息つくことで何とか落ち着きかかった夜盗の男。とんでもない追っ手がかかっての末、ここまで揉みくちゃにされたんだから、そろそろ諦めたほうがいいんじゃないか。命あっての物種っていうしと、傍観者としちゃあ、他人事ながらそんな風に思ってしまうところじゃあるが、
“冗談じゃねぇ。”
撫で下ろしたついでに胸元へと確かめたのが、少し膨らんだ布の感触。実は既にとある商家へ忍び込んでおり、蔵の中から五寸ほどの金むくの仏像、こっそり頂いて来たばかり。なので、夜回りによる単なる“職務質問”から大慌てで逃げ出したのであり、
“ややこしい岡っ引きがいたもんだが、勢い余って飛んでっちまったからな。”
どうやら悪魔の実の能力者らしいと、今頃になって気がついたらしい賊。地べたを追って来る捕り方らはまだ駆けつけぬこの間合いにと、ちょこっと休んでしまっていると、
「そのままぶら下がってちゃあ、腕が疲れやしませんか?」
「あ? ああ、まあそうだな。」
「ほれ、掴まって下さいな。」
そんなお声に促され、触れて来た手へとこちらからも掴まったものの、
「………? 何だぁ? えらいこと堅い手をしてないか、お前さん。」
余程のこと力仕事ばかりしているような、がっちがちな感触がして。ぐんと引かれる頼もしさに身は任せたものの、
「骨張って堅くて妙な感触だねぇ。」
とこぼしたところが、
「すいません。私、骨張ってるどころか、骨ばっかりな身なもので。」
屋根の上までを引っ張りあげて下さった誰か様、月を背にして恐縮して見せる。のんきな口調についつい釣られたが、そもそもなんでまた、
「そうだ。何でまた、こんな夜分に屋根の上にいるんだい?」
「やですよう。
あなただってこんな夜更けに屋根の上を駆け回っておいでじゃないですか。」
からからからと明るく笑ったその声へ、
「あっ、ブルックだ!」
顔見知りなのか、何してんだお前という気安い声を掛けながら、あの岡っ引きが駆け戻って来たりして。
「な…お前っ、捕り方なのか?」
「いいえいいえ、わたしは単なる通りすがりの…。」
皆まで聞かず、男がぶんと振り出したのは、懐に収めていたらしい匕首(あいくち)の刃。捕り方にこうまでの接近を許したことで、とうとう破れかぶれとなったらしく、血路を切り開いてでもとの覚悟か、そんな暴挙を始めたらしかったが。
「あ、危ないじゃないですか。」
「うるさい、うるさいっ。俺は掴まる訳にはいかねぇんだっ!」
自暴自棄になってもそこは素人じゃあないということか、切っ先はなかなか的確に振るわれており。狙いも確かに相手の懐ろや顔へと目がけ、ぐいぐいと振りかざされての押すこと押すこと。
「わ。何してやがんだ、あいつっ!」
「つか、あの向かい合ってるのは誰だ?」
「親分の知り合いじゃね?」
さっき何か呼びかけてたしという声が、わあっと言う歓声にかき消される。大暴れしている賊が、どんと大きく踏み込んだがため、その切っ先がとうとう相手へ突き通ったように見えたのだが、
「…………あえ?」
何の手ごたえもないままの空振り。しかも、相手の姿そのものが進路上のどこにもない。落ちたか、いやいやそんな物音はしちゃあないし、第一、そんな運びになったなら、駆けつけかけてる捕り方連中が、もっとわっと弾けるような声を出すはず。どこだどこだと見回せば、
「ひどいですよう、そんな危ないもの振り回すなんて。」
「…っ!!」
声だけが間近から聞こえたのがやはりよっぽど怖かったものか、ドキィッと肩から足元から、大きく跳ね上がった賊の男へ、
「いいかげん諦めてしまいませんか? もう逃げ場はありませんよ?」
「う、うるせぇなっ!」
どこだどこだと焦りを増して周囲をぐるぐる見回した彼の、その視野の中へと飛び込んで来たのは、
「ブルック、どいてろっ!」
「はいな♪」
今度こそはのゴムゴムのロケット、捜し物があったがために、その場から動けなかった賊を目がけ、凄まじい勢いにて突っ込んでいった麦ワラの親分さんの、おでこ全開なお顔であった。
「どあぁぁああぁぁっっっ!!」
……………合掌。
◇◇◇
腕が立つんだかどうなんだか。とりあえず、この藩の名物には詳しくなかったらしくての、無様な撃沈を果たしてしまった盗賊さんは、捕り方の皆さんにお任せし。
「ブルック、なんでまたこんなところに?」
突然現れて、夜盗の度肝を抜いた人。そもそも、気配のないまま間近まで寄れたのも、あの盗賊が素人臭かったからじゃなく、こちら様が自分の気配を消すことに長けていたからという順番であり。最後のあたふたにしても、
『何で気がつかなかったんだろうな。』
『ああ、あんなにも背丈(タッパ)のある男に、頭の上へ立たれててよ。』
………それは凄い。人の頭の上って、結構安定悪いですよ? …じゃあなくて。どう見ても“大人”の男性がそんなところに乗っかって、まずは重みで気づかないはずがないと。そんな 不思議な見世物状態になってた二人であり。だからこそ、賊の視野から彼の姿が消えた瞬間に、捕り方の皆様も声をなくしてしまったのだけれど。
“ブルックは見かけの半分くらいしか重さがないから。”
正確にはどんなもんでしょうか。人はその体組織の90%近くだか以上だかが水だと言いますので、骨だけという身の彼は そりゃあ軽くて羽根のよう。大急ぎで駆ければ水の上だって走れるとかで。なので さっきも、盗賊には気づかれないまま、そんな盲点へ身を隠すことが出来たというワケで。そうまで身ごなしも軽やかな彼が言うには、
「いえね、ウソップさんが療養所で寝こけてしまったもんですから。」
今宵は夜回りの当番だと仰せだったのに、お夜食の粕汁を作っていたらば味見のし過ぎでチョッパーさんと二人、引っ繰り返ってしまったので。
「親分さんへと伝言をと思いまして。」
とある一件にて、叩き起こされた格好の“過去の人”。実は“生ける骸骨”なんていう、微妙に特殊な身の彼は、あんまり人の目に触れちゃあまずかろと、近郊といや聞こえはいいが、ご城下の外れにある植物園付属の療養所で、診療や雑用のお手伝いをこなしておいでだったのだが。そういうところもまた、この藩が人のいい領民の集まりな証しか。
『おじさん、随分と痩せっぽっちなんだねぇ?』
人を治す場所なのだから、絶対の全く人と触れ合わない訳にも行かない。たとえ彼が診察しなくとも、食事の配膳では患者さんと間近に会うし、その食事や医療品などなどという資材を持ち込む仕入れ先の人とだって、挨拶くらいは交わすだろ。近所から手伝いに来ている寝間着や晒しを洗濯したり料理をしたりのおばさま方や、そんなお母さんたちについてくる子供らとも、少しずつながら接するようになり。素性の分からぬ御仁だと怖がられるどころか、いつも鼻歌唄ってる面白いおじさんだと有名になりの、骨にまつわる冗句が子供らには受けての、お外でも遊ぼと連れ出されるようになりと。気がつきゃ、こんな町中へだって…仕事が引けてからの宵に限った話ながら、出て来るようにもなっており。
「そっかぁ、道理でウソップのやろ、なかなか番所にも長屋にも現れねくてよ。」
酒には強くねぇくせによ、とんだ手間をかけさしたなと、二重のお世話かけへ頭を掻いて苦笑を見せる親分へ、
「何をおっしゃってますか。」
こんな楽しい毎日を送れるようになったのも、元はといや親分さんが助けてくれたせいですし。子供らが寄ってくるのも、親分がたまに来ちゃあ親しく話しかけてくれたのが切っ掛け。そんな大きなご恩に報いることにも、全然届かぬだろうこの程度のことで、そんな恐縮しないでと。骨張ったお顔からは判りにくいが、和んだ気概に満ちた声でのお返事くれる。何の何の、彼もまた たいそう心の優しいお人。
「夜盗も捕まってよかったことですね。」
「おうよ。」
じゃあ療養所まで送って行こうなと親分が言い出せば。そんなそんな、お世話になる訳にはと恐縮する骸骨さんだったのだけれども。
「何言ってるかな、ウソップを連れ帰らにゃならんのだし、粕汁っての、俺も食いたいし。それに…。」
遠慮は要らぬとの理由の中の、忘れちゃいけない代物が。
「犬から追われちゃあ困るんだろうが。」
「あああ、えとあの、まあ…はい、その通りで〜〜〜。」
何たって全身が剥き出しの骨ですもんで…って。それが理由でと集まるものかどうなのか、はっきりしたところは不明だが。薬草の匂いのする療養所の表へまで出ると、どこからともなくのわらわらと、近所の犬猫もまた寄って来るのが、彼の素性を知るものにしてみりゃ…微妙に気の毒でならない素因であり。
「まだ齧られたことはないんですけれど。」
「馬鹿だな。齧られてからじゃあ遅いっての。」
まあ、この藩じゃあ腹減らした野良は少ないけれどもなと、親分の方でもそうと言い足しつつ、さあさ帰ろうと背中をどやしつけてやる。
“実はお化けが怖いくせによ。”
それも知ってる親分は、それでもと伝言を抱えて夜中の町まで出て来てくれたのが嬉しくてしょうがない様子。そして、
“此処まで来る途中は無事だったがな。”
と、これは、今宵は少し離れた火の見やぐらから、捕り物の一部始終を眺めておいでだった とある誰か様の独り言。がっつり骨張った膝頭を両手で掴んでの、ゆったりと胡座をかいた体勢でいたあたり、今宵は助けにと飛び出すつもりはなかったらしく。宵の暗さの中での結構離れたこの距離でも、十分に見通せるずば抜けた視力でもって、見据えた先、彼が此処までを見送る格好でついて来たのはブルックさんの方だったりし。何しろ、あの骸骨さんの不可思議な素性、彼もまたよくよく知っておいでなものだから。彼へというより、彼が困れば親分も困ろうからという順番で、出来得る限りはフォローも欠かさぬ対象と、数え上げてる間柄。まさかに犬に追われる云々の話は今が初耳だったけど、化け物と驚かれちゃあ可哀想だし、そこから大騒ぎになっちゃあ剣呑と、ここまでを見守ってたらしく。
“まあ、親分がついてんなら、問題はないとは思うんだが。”
それでも、と。無事に帰りつくまでを見届けてやりましょかいと、雲水姿の裳裾から埃を払いつつ、腰を上げてる虚無僧様。色んなお人の色んな優しさ、すべてを隈なく見守ってたお月様が、微笑ましいことですねと和んだお顔をしたような、そんな月夜の一景でございます。
〜Fine〜 09.09.16.
*いえね、親分さん噺をずっと書いてなかったなぁと思いまして。
お盆も過ぎてて何ですが、
TVシリーズの時代劇編にもブルックさんが出たしということで。
(ウチの彼は療養所務めです、はい。)
フランキーさんもどっかでそろそろ出したいですね。
こちらはそのまま大工の棟梁でいいんでしょうしvv
それにしても……。
喋る骸骨さんが出て来ても、
さほどには驚いてなかったですね、皆さん。(笑)
そりゃまあ、話の順番というものが違うんでしょうけれどもさ。
あり得ないとまでの否定はなかったのが 何ともはや。
*ちなみに、これは以前にもどっかで書いたと思いますが、
ついついうっかりやりかかるのが、
ブルックさんが自分の首を投げたりは出来ないという点で。
バラバラの何とかさんがいるもんだからつい、
ブルックにもそれが出来そうな気がしちゃうんですけれど、
彼がそれやると、間違いなく即死なんでしょうね。(怖い怖い…)


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